ポールジョージのキャリアについてちょっと語ってみる
先日NBAのシーズン中断が発表されました。
シーズン中断を受けて多くのNBAファン、特に僕含め学生の方たちはコロナによる自宅待機期間中暇な時間を強いられることになってしまいましたね。
そう、こんなブログを書いてるのも暇だからなんです()
コロナ滅べ
特に書くこともないんで適当に僕の一番好きなNBA選手であるポールジョージについてでも語りたいと思います。
現在ロサンゼルス・クリッパーズのエースの一角を担うポールジョージは、2009-10シーズンNBAドラフト10位でインディアナ・ペイサーズに指名されNBA入りしました。
もう10年目なんて改めて考えると引退までの時間は長くないなぁって思っちゃいますね。
そんなことはさておき、ポールジョージのキャリアを振り返ってみましょう。
※ちなみに僕は当時はポケモンに大ハマりしてる可愛い小学生だったのでNBAに一切関心ありませんでしたのでご了承を。
ルーキーイヤーはダニーグレンジャーをエースに置いた体制のチームでロールプレイヤーとして過ごしました。
7.8p/3.7r/1.1aと期待相応の平均的なスタッツを記録し、3P%も29.7と悪くない数字を残しました。
2年目以降はグレンジャーの怪我による離脱なども重なりグングンと成長していき一気にオールスタープレイヤーまで上り詰めていきました。
彼がコービーブライアントに憧れを抱いていたことは有名な話ですが、実はグレンジャーに対しても尊敬の念を抱いていました。
2014年にフィリピンで行われたNIKEのイベントにてダニーグレンジャーの存在について質問された時、
「彼はとても強い絆で結ばれている兄弟のような存在で、偉大なメンターだ。彼がいてくれたから自分は今のレベルまで達することが出来た。(以下省略)」
という趣旨のことを語っていました。
常に高いレベルでプレイしてきたグレンジャーから多くのことを学んだジョージ。それが嘘ではないことは6回のオールスター選出やその他多くの受賞歴が証明しています。
1つのフランチャイズに尽くす忠誠心も学んで欲しかったね
時は進みキャリア3年目を終えた2013–14シーズン終了後のアメリカ代表練習試合。
ブロックに飛んだ着地の際にゴールの支柱に右脚を打ち付け、右脚腓骨と脛骨の開放骨折という大怪我を負ってしまいました。
多くのNBA選手たちが彼に激励の言葉を送り、彼の復帰を祈りました。
––ステフィンカリーのメッセージの一文
「彼がもっと強くなって復活するのを祈る」
一年後、ジョージは言霊が本当にあったのかと思ってしまうような復活劇を果たしました。
正式にNBA復帰を果たした2015–16シーズン。
ジョージは81全試合に出場しキャリアハイの平均23.1得点4.1アシストをアベレージし、見事“強くなって”帰ってきました。
忠誠心は?
と聞きたくなりますよね。
そんな残酷なこと僕に聞かないでください
ご存知の通り完全復活の後、ジョージのトレード要求の噂が立ち始めます。
火の無いところに煙は立たぬように、ジョージのトレード要求の噂も真実でした。
その真相は未だ不明ですが、今シーズンの12/19のインディアナ・ペイサーズ戦後に
「いつかトレード要求に至った経緯を話すよ」
と発言しました。
ESPNの推測によると当時の球団社長ラリーバードとジョージのローテーションや役割を巡って関係が悪化し、トレード要求に至ったなどと言われていますが個人的にはもしそれが真実だとしたらバード可哀想だなって思いますね。
まさかジョージをPFにしようとしたことが彼の地雷だったなんてね。
バードもバードで食い下がらなかったのか、とにかくジョージとペイサーズの関係が悪化したことは間違いありませんでした。
先ほど挙げたようにジョージは昔からコービーファンだったこともあり、トレードされなければオフにはロサンゼルス・レイカーズと契約するなど噂されていました。
でもイングラムいたよね。役割めちゃくちゃ被ってるよねレイカーズさん。
とにかくレイカーズに無償で行かれるのは嫌だったペイサーズは、オクラホマシティ・サンダーからヴィクターオラディポとドマンタスサボニスのアセットでトレード提示され、承諾。
余談ですが当時ジョージの契約額19ミリ⇄オラディポサボニス合計で23ミリと、プレスティのキャップ確保の上手さが滲み出てます。
その後はご存知、通称“OK3”の結成へと繋がっていくわけです。
ちょっと長くなってきたからこの辺で。
また暇な時書きますので是非読んでやってください。
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